江戸文化にみる煙草[たばこ]と 煙管[きせる]あれこれ
コロンブスの新大陸発見(1492年)から全世界に広がったタバコは、約100年後、戦国末期の日本に上陸したとたん、華麗な文化へと発展していきました。 タバコ(喫煙)は日本人にとって単なる嗜好ではなく、お客さんがあると、お茶より先に「たばこ盆」を供するという日本独自の喫煙文化と開花していきました。
「日本人男女児童皆この事を喫するに熱中するを見て不思議の感にたえず」
イギリスの平戸商館長・コックス(?~1624年)、1613年来日の日記より。
お江戸の火事の原因を取り除こうと幕府は煙草禁止令を出す。
「煙草を耕作した町人は五十日・百姓は三十日の入牢、それを売買した者も同様」
慶長17年(1612年)~元和2年(1616年)
「煙管(きせる)狩」
元和5年(1619年)後、八代将軍吉宗の時代より煙草の増産奨励に政策を転換することになる。
「けんかきせる」
真鍮、銅、鋼で作られた危険でファッショナブルな武器(喫煙具)です。
「伊達きせる」・「花見きせる」
肩にかついで、花見や野遊びに出かけるアクセサリー(喫煙具)です。
「吸付け煙草」
吉原の遊女が長きせるで、格子の外からのぞき見している客に吸い口をさしだし客寄せを行う行為です。
「きせるの雨」
江戸歌舞伎の代表作「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の中で、人気者の侠客助六に遊女たちが吸付煙草を周り中から差し出す場面。1713年(正徳3年)2世市川団十郎が初演。もてまくることの代名詞です。
「茶の湯における煙草盆」
煙草盆[たばこぼん]が置かれた所が正客の位置となります。
煙草盆の設え[しつらえ]
1.茶席に入る前の寄付、2.腰掛、3.濃茶が終わり薄茶が振舞われる時。正式には三組の煙草盆と煙草道具が必要なのです。
「行きかう人をまちもうけたる、かりのゆかなどに、しばしやすらいつつ。まず火もてこいといいたるに、きよげなる女のあわあわしげにもていでてなめげにさしおきたる、さるがうことなどいいあざれたる。いとおかし。」
江戸歌舞伎の代表作「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の中で、人気者の侠客助六に遊女たちが吸付煙草を周り中から差し出す場面。1713年(正徳3年)2世市川団十郎が初演。もてまくることの代名詞です。