本館のご案内

燕の産業の起源は江戸時代の始め頃に遡ります。
なぜ、日本海側の小さな街「燕」で、現在も、なお、金属加工技術を燕ブランドとして世界に向けて発信し続け、
信頼を得ているのか、その理由をひも解く、江戸時代から続く手作りのモノづくり技術を展示しています。

本館1階 燕の金属産業 歴史と技術

産業のきっかけとなった風土、技術と伝統の歴史、燕市の伝統と誇りの産業、職人の技が光る技をコンセプトに、作業現場の復元展示や映像とグラフィックを使い解りやすく紹介しています。

本館
鎚起銅器の世界

鎚起銅器の世界

鎚起銅器とは、銅を金鎚で用いて打ち延ばし、打ち縮めて形をつくり、継ぎ目のない製品をつくる鍛金技術を用いてつくられた器です。鎚起銅器の技術は、明和年間(1764-72)に仙台から会津を経て燕に渡ってきた藤七によって伝えられました。

ヤスリ

ヤスリ

鈩は江戸時代の中頃、鋸の歯の部分を修理するときに使う道具として燕に伝わりました。明治末期には一部機械化され始め、現在の鈩づくりの工程ではほぼ機械化されています。職人の技術は機械目立てを行う現代になっても、脈々と引き継がれています。

煙管(キセル)

煙管(キセル)

燕で煙管の生産が始まったのが、鎚起銅器と同じ明和年間(1764~72)です。鍛金技術と彫金技術が一体となって発達しました。

彫金

彫金

彫金は江戸時代の中頃に会津や江戸から技術が伝わったとされています。タガネを使って金属の表面を切ったり押したりして模様をつける技術です。タガネには様々な形があり、タガネの先端の形によって、それぞれ異なった彫り方ができます。

本館2階 燕の金属工芸 銘品ギャラリー

鎚起銅器・煙管・彫金作品のコレクションギャラリー。美術工芸品としての鎚起銅器の美の世界。人間国宝玉川宣夫氏の技術とコレクションギャラリー。

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燕の職人と銘品

燕の職人と銘品

個々の職人にスポットをあて、伝統工芸品としての技と作品が持つ美しさを紹介します。

鎚起銅器の美の世界

鎚起銅器の美の世界

1873(明治6)年以降、海外の博覧会に出品し世界で高い評価を受けました。日用品から美術工芸品への変容を紹介します。

人間国宝 玉川宣夫

人間国宝 玉川宣夫

鍛金技法の中で、難易度の高い「木目金」。銀・赤銅・銅などの異種金属を10~30枚を積み重ね、板状に延ばし、表面を削り、模様を作り、その模様が木目状に見えることから「木目金」と呼ばれている。木目金技術の第1人者として国内外で活躍し、その技術を継承させています。